車を支えているのはタイヤ

三日坊主日記です

戦争の分類

今日、お風呂に入りながら、戦争について考えていた

戦争に関する本は読んだことがないので、常識なのかもしれないけれど、戦争は大きく3つに分類できるような気がした

1 健康的な戦争

2 社会的な戦争

3 不毛な戦争

この3つである

 

健康的な戦争とは、水や食料を奪い合う戦争のことである。水と食料は、無くなれば死に直結する重要な要素である。だから、それを奪い合うことは、健康的であり、ある種納得のいく戦争である。納得という言い方が悪いが、要は、本能的に起こってしまう戦争で、仕方の無いものなのかもしれない

社会的な戦争とは、たとえば油田を奪い合う戦争である。レアアースや領土問題も、これにあたる。これらは無くても死なないが、あることによりつうかという社会的ツールを得て、間接的に死を免れる(=これらがないと死んでしまう)。だから、少しではあるが、戦争に納得がいく。もちろんこんな戦争はなくていい。あってほしくないし、してほしくないし、したくないし、協力もしたくない。けど、社会というシステムができてしまっているので、続く限り、おそらく無くならない

不毛な戦争とは、宗教による戦争である。他2つに比べて、これは本当にわからない。なぜなら、宗教などなくても人は死なないからである。つまり、人間には暴力衝動があり、それが死に接すると発動してしまう他2つと違い、これは完全なエゴである。

 

地球上の一部地域で、紛争が起こっているが、これは実は、納得がいくのである。勝たなければご飯が食べられず死ぬからである。しかし、宗教戦争だけは、何度聞いても気分が悪い。自爆テロというものがあり、戦争行為だが、死ぬ時その人は、何を思って死ぬのか。思想で死ねるなんて、はっきり言って頭の中がお花畑である。死ぬことによりお金がもらえて、家族に届けられるのなら、理解できる。そうなるしかなかった人生に同情と、切なさと、怒りを感じる。しかしそうでもない人は、どれだけ徳のある人であっても、筋肉のある人であっても、自分に内蔵があり、骨があり、どうしようもない肉体があるということを忘れた存在である。人間は頭だけで構成されているのではない。それを忘れたとき、人間は、不毛な戦争を始めるのである

 

戦争は嫌だ

不毛な戦争は最も嫌だ