車を支えているのはタイヤ

三日坊主日記です

自由は素晴らしいか?

何をしてもいいと言われると、ぼくは困ります

ぼくは劇作家志望ですが、戯曲は他の文学と比べて、非常に制限が多い文学です

まず、文学なのに俳優のからだが必要

そして、観客の目の前で起こるためファンタジーすぎる表現は不可能

前者は、ある種文学において致命的である。文学は、言葉で世界を表現する芸術である。言葉とは、形而上学的なものである。言葉は触れないし、見えないし、聞こえない。だからこそ、言葉は力を持ち、私たちの生活を支えられる。その言葉による文学を、人間のからだという形而的なものに「落とす」必要がある。この矛盾が演劇、そして戯曲の魅力なのだけれど、つまりセリフの魅力なのだけれど、しかし、小説でいう地の文が使えないため、物語を重視する作家としては戯曲という文体は書きにくくて仕方がないはずである

後者は、科学の発展や舞台スタッフの力によってある程度のことはできるけど、演劇はアナログだから、例えばゴジラの巨大さをそのまま表現することはできない。街が炎に包まれるという表現も、プロジェクションマッチングで擬似的に表現はできるけど、炎のリアルさはやはり無くなる。スターウォーズを演劇にすると考えるとわかりやすいかもしれない。場所がコロコロ変わったり、エフェクトを多用する表現は、向かない。技術によってこれから変わっていくだろうけど、そもそもそうなれば、小説や映画のほうが、そっち方面の表現のほうが向いていると思う

少し根拠としては弱いけれど、以上が戯曲の制限であり、不自由さである。書いたことのある人ならわかってくれると思う。小説を書くときと、戯曲を書くときは使う脳みそが違うのである

 

で、何を言いたいかというと、ぼくは不自由さがないと何もできないということなんです

原稿用紙を前にして、ぼくは何も書けません。劇団員の顔を思い浮かべたり、上演する空間を思い出したりして、ようやく書けます。普通は、この制限は無ければ無いほど、自由にのびのびかけるはずなのですが、ぼくはどうもそれができないのです

普段の生活でも、一週間何してもいいよと言われると、何もできないと思います。寝るばかりの生活になるでしょう。現に、これまでの生活がそうでした。しかし、今バイトのようなものを始めて、反って本を読む時間が増えました。幕間の短い時間でも本を呼んだり、マチソワの間に本を読んだり、そしてその時間に対する集中力も高くなりました

思い返せば、今までの人生(22歳だけど)で一番本を読んでいたのは高校生の頃です。授業中にこっそり読んでました。学校では授業中にしか読む時間がなかったからです。家では自由になるので、テレビかゲームばかりしてました

演劇をつくる動機も、やはり不自由さの中に見出しています。生活していて、どうしてこんなに息苦いいんだろうという不満、怒り、息抜き、そういうものでつくっている気がします

エヴァでも、たしか26話で、自由についての話があります。真っ白な空間に線を一本引くことで地面ができる。引いてしまったが故に人は地面に立つという不自由さを強要される、って話だったと思うんだけど、これも今になって思えば、ぼくの自由に対する感覚を決定づけている体験だったと思う(なんでもかんでもエヴァに影響受け過ぎているなぁ……)

 

不自由の中に自由を見つける

これが最高に楽しいのではないかと思うのです

 

自由になりたくて、学校を辞めたり会社を辞めたりする人がいるし、それはそれでいいと思うけど、自殺してしまうより遥かにいいと思うけど、けど、本当にその自分がその器の人物かは、自分で考えたほうがいい。ストレスばかりで愚痴しか生まれない人生はつらいけど、ストレスも愚痴も生まれない人生もどうなのか。ニートと呼ばれる人と比較するとわかるかもしれない。あるいは浪人生。確固たる意志がないと、普通は、だらける

ぼくはその器じゃないので、制限がなくては生きていけない。文化的な人間ではないから、自分を律することができない

 

22になって、なんかようやく気がつけたことでした

無隣館

締切をとうに過ぎていたので、申し込めなかったです

行く気満々だったのですが、オーマイガー……

さて、来年度本当に何もなくなってしまったのですが、どうしたものか

無隣館は学校ではないけど、似たものを感じるので、早く学生をやめろという運命の啓示でしょうか

生理的に無理なアニメ

アニメは好きでよく見るのですが、どうしても苦手な内容のものがあります

つまり、無条件で女の頭が悪く、無条件で男の頭が良いアニメです

より嚙み砕いていうと、この手のアニメでは、女のキャラはよく泣き、男のキャラは正論しか言いません。また、男は常に冷静沈着で、しかも能力が高い傾向にあります

男>女という不等式が丸見えのようなアニメです。女は男に守られるべき存在とでも言いたいのでしょうか。また、女は男より頭が弱いとでも言いたいのでしょうか

エロゲでも、同じ構造のものが多いような気がします

とあるアニメを見ていたとき、絶対泣かないだろうなって思ってたキャラが、しょうもない理由で男主人公に泣きついていたときは、悲しさを覚えました。そんなに自己承認欲求を満たしたいのかと

また、この手のアニメは、唐突なサービスシーンがあります。そして女の子は頬を赤らめて怒るのです。サービスシーンは大歓迎ですが、あまりに唐突であるため、興ざめするのです

 

さて、どうしてぼくはこの手のアニメが苦手なのでしょうか

苦手意識が功を奏し、百合マンガや女の子が中心のものばかり見るようになりました

アイドルマスターなんてその典型ですね、どっぷりはまってます

まあ、もう書きましたが、男>女という構造が気持ち悪いんですね

当然、女>男の構造も気持ち悪いです

ぼくの中のバランス感覚がそう判断します

女は男のものではないし、男は女のものではありません

にもかかわらず、堂々と言い放っていることに、時代錯誤感や、利己主義のようなものを感じるのです

そういうアニメを普通に見れる人は、一体どんな精神構造をしているのだろうか

謎です、生理的に無理なんです、見ててムズムズしてくるんです

男ってそんなに偉くないし、視聴してるだけのあなたも偉くないよ、って思います

アニメに自己投影しても、アニメの主人公にはなれないよと。プライドを守るのは自分しかいないんだよと

 

人の趣味に口出しするのはセンスがないですが、気になったので書きました

以上です