現実と虚構の入れ替わり
ゼルダの伝説ブレスオブザワイルド、というゲームが死ぬほど欲しい
そこでAmazonのレビューを見てみると、なんと、余りに熱いレビューの嵐で、感動してしまった……
特に、一番上に来ていたレビューが感動的だった
日々の仕事の疲れが、ゼルダによって救われたという内容だ
彼は、ゲームをしていたある日、通勤中、いつも眺めていた山を見て、「あの山も登れるんだなあ」と「発見」し、電車の中で泣いたという
もちろんこれは、フィクションの可能性もあるが、しかし、ここで語られていたことはノンフィクションだ
大昔や、子ども時代は、山は「登る」ものだった。そしてゲームの中の虚構の山は、これ以上先へは進めませんよという「壁」の役割を果たしていた。ドラクエのワールドマップなどは、その典型例であるし、多くのアクションゲームがそうであった
しかし時代は進み、ゲームは高速で進化してきた
その結果、現代では現実と虚構が、入れ違ってしまった
現代では、山こそ「壁」であり、ゲームの中の虚構の山が「登る」ものになってしまったのだ
昔は、技術の問題で、虚構の山は登ることができなかった。しかし今となっては、虚構の山を登ることなど造作もない
一方、現実の山を登るのは、体力と、場合によってはお金、なにより時間が必要になった。そもそも、登れるものという認識が極端に小さくなっている。恐怖の対象であったり威圧感を与えるものとなっている
これを退化と言わず何と言おう
彼が泣いたのは、「山は登れる」というごく当たり前で、当然のことを思い出せたからなのだ
Twitterで、以前ゼルダと関連した内容で、ゲームなんかしなくても、この世界はすべてオープンワールドで、行こうと思えばどこへだって行けるんだぜ、という趣旨のツイートが回ってきた
本当にその通りだと思う
こんな当たり前のことを、虚構のゲームが教えてくれたのだ
あなたは、最近山を見ますか?
海を見ますか?
もし見るなら、そのとき、登ってみたいとか、潜ってみたいとか、感じますか?
あああ、ゼルダがほしいよおおおお……しかし節約しなくては……
しばらくは夢想で過ごさなくてはならない、なんと世知辛いのか……