車を支えているのはタイヤ

三日坊主日記です

当たり前のこと

当たり前のことなんですけど、人って老うじゃないですか

あれが、とても怖いんです

たぶん、普通の人は、もちろん老いることは嫌というか、どうせなら若いままでいたいって思うっていうか、そういう若さへの憧れってものを持っていると思うんです。人によっては当然ちがう人もいるでしょうけれど

で、ぼくは老いることに対して、おそらく普通の人よりかなり恐怖している。普通の人は、若さへの羨望を抱きつつ、老いを受け入れていく。けど、ぼくにはどうもそれができない。できないというより老いへの恐怖がありすぎて考えたくない

本屋でバイトをしていると、明らかに言語野がゆるくなっていたり、手が震えていたり、本の名前が思い出せなくなっている人と話をする。若い頃から頭を使っていればそうならないのかもしれないし、またはからだを動かしていればそうならないのかもしれないけれど、本屋に来る高齢のお客さんは、どの人も(特に本が好きそうな人ほど)、老いへの適応が間に合っていないように感じる

自分もああなるのかもしれない

今でさえ、頭をちゃんと使えてない

それが、痴呆症の進行により、より深く生活に苦労することが増えるかもしれない

自分が70歳となり、どうなっているのか、想像すると、ただ生活に制限がかかった男にしかなっていない気がするのだ

孫がいるとか、同じくらいの年齢の奥さんがいるとか、そういう他者在りきの想像がどうもうまくいかず、一人ただ狭い部屋で生き繋いでいる想像しかできない

それがとても怖い

そうまでして生きたいほど、自分は現世に魅力を感じない

老いを楽しめるようなバイタリティを持ちたい

今の生活があと60年ほど続くなんて、ゾッとする

最近考えていること

本屋とロリコンの話

 

他人に見られて初めて存在できる

けれど、他人は信頼できない。かといって、自分も信頼できない。何も信じられない。それでも他人を信用しようとしてみるのが作品? それでも自分を信じようとするのが作品? 

自分は自分と言いつつ、他人と合わさなくてはならないシステムの中で生きていて、おれは一体どうしたら良いの?と悩んでいる

バカの壁、世間で声高らかに叫ばれている個性を伸ばすというのは、世間に求められる個性のことであり、実に都合のいい個性なのである

 

作品は作者の人や世界の見方

セリフは、作者の人間の捉え方

人名は、作者の人の捉え方

 

ネタ

娘が結婚したい相手を連れてくるといい、女の子しか生まれなかった家の父は、ようやっと男の話ができると義理の息子になる予定の男を待ったが、その男はレズビアンで、まったく野球や政治や釣りの話ができず、しかし娘の笑顔が眩しく、ああ一体どうしたものかと嘆く話

 

世間体の話

心と体の話(心を重視するリベラルと体を重視する保守)

 

「愛でもないし、youでもなくて、ジェイ」

王子小劇場へ、芝居を見に行きました

虚構の先輩の作演出の、アナログスイッチという劇団でした

しっかり作られた舞台美術と、ハッキリうつす照明で、青年団感がありつつ、コメディですごく居心地がよかったです

流れで、お互いが思ってたことを暴露し合うことになるのですが、そしてそういう芝居はあまり好きではないのですが、段階が丁寧に描かれてて、違和感がありませんでした(本当は少しありましたけれど、完全な感情論の話になるし、好みだし、何より段階が丁寧だったからいいなと思いました)

 

登場人物達は、相手のことを思っているようで、実は、わがままに自分のことしか考えてないように見えました。そういう人間に憧れるので、いいなと思いました

歓迎会という設定でしたが、大喧嘩できることが、僕には少し信じられませんでした。喧嘩になるぐらいむかついても、歓迎会なのだからトイレに行って落ち着くなり散歩するなり、なんとか気分を変えるものではないのかなと思いましたが、そんなこと無く思いっきり喧嘩してました

先程書いた違和感は、おそらくここにあります。ぼくは人前で声を荒らげることが苦手です。一度怒鳴り散らしてみたいと思いました

 

また、悲しんでる主人公に、登場人物の一人の女性が抱きしめるというシーンが少しコミカルに描かれるのですが、ぼくだったら振り払うと思いました

主人公は東京に出てきたけど、才能がないのか何なのか不明ですが、親の介護を理由に田舎に帰ってくるのですが、その悔しさとか、親を理由に夢を諦めたような自分がよく分からなくて、悔し涙を流します

自分の苦しみを誰かに癒してもらいたいって気持ちははあるし、共感できるのですが、ぼくだったら絶対振り払います。なぜなら、その悔し涙は、自分だけのものだからです。誰かに癒してもらったり、聞いてもらったりしたら、共有されてしまって、他人のものになるような気がするからです

こんなことを考えるのはぼくが偏屈だからでしょうか、登場人物達のように熱い友情を持ったことがないからでしょうか……いや、こんなこと考えるから友達が少ないのかもしれません……

 

他人に興味を持たずにいられない人々の物語は、ぼくには眩しくて、羨ましかったです

 

 

スタッフに、すごくお世話になった舞台監督の方と、照明の方、音響の方がいて、こういう再会の仕方は演出部に入ってるからこそのものだと思いました

俳優にも知ってる人がいて、挨拶をするのも、演劇人っぽかったです(ぽいだけです)

 

コメディ部分が無理してるように見えなくて、完全に演出家の手腕だと思いました。ぼくには無理なので、すごく勉強になりました
f:id:kikuike7:20170427004839j:image

写真撮りタイムもあり、使っていいとのことなので、思い出に

捨てる

今部屋にあるものをすべて捨ててみたい

読んだ本も、同人誌も、テレビもパソコンも布団も

何が残るんだろう

なにもなくなる

何か勘違いしてたのかもしれない、いや、忘れていたのかもしれない

なにかがあるって

 

 

バイト先での出来事

店長が、今日休んだ

昨日から体調が悪かったのだが、今日の朝、来てすぐ帰ったようだ

ぼくは昼から仕事だったので、店長がいるものと思って店に着くと、電話の前で従業員の先輩が電話で既に帰宅していた店長と会話していた

今日も休みらしい

ほかの従業員(昼は女性しかいない)も集まって、ことの顛末を見守っていたのだが、一人の先輩が「代わりな!」と言って受話器をその先輩から奪った

 

そしてキレた

 

もちろん電話を切ったのではなく、電話の向こうの店長にキレたのだ

「なにしてんの!?」

「なんで連絡しないの!?」

「あり得ないんだけど」

「昨日あんたの代わりに入った人、すごく困ってたんだけど!」

店長と従業員という関係からは考えられない、ズバズバ喋る姿は、かっこいいと同時に、久しぶりに女の人がガチギレする様を見て恐怖を覚えた

単純に、こえぇ……、と思った

先に話してた先輩が、「菊池くん、両替行ってきて?」と言ってぼくは店を一旦離れたんだけど、しばらくキレてる姿が脳裏に焼き付いていた

 

恐いと言いつつ、実は、可愛さも感じていた

そしてこっちの方が大事だったりする

パートの女性陣は、若い人ではなく、主婦というか、人生経験が豊富な人たちばかり

なのに、先輩は怒ってるとき、「あんたの代わりに入った人、すごく困ってたんだけど!」と言ったのだ(実際は、その代わりの人の本名を叫んでたんだけど)

なんか、女子小学生が怒るときに、「まゆちゃん泣いてたんだよ!」と言ってるのと似たものを感じたのだ。女性らしい怒り方というか、男だと、自分が不都合になったときに怒るけれど(部下の書類ミスとか)、女は他人の感情が揺れたときに怒る

この人の感情をなんだと思ってるの!?と怒るのである。もちろんこれだけなはずはないが、男にはなかなかない怒り方ではないだろうか。逆に言えば、男が感情を起点に怒ってると、女々しいと思われるような気がする

 

もうひとつ、その先輩は怒りながらも、周りの人(ぼくも入っている)に対して「みんなもそう思うでしょ?」というメッセージを送りながらキレていた

これも女性らしい、いや、女の子らしい

常に周りを固めなから自分の言いたいことを言っていた、女が固まると怖いのは、その団結力によるものだろう

 

女の人が怒ると恐いのは(今気づいたけど怒の字の中に女と心が入ってる……又は、三股とかによる心の揺れなのかな……)、第一に偏見として女は怒らないってことがあるのかもしれないけれど、もっと構造的に、感情を武器にしてくるのと仲間を常に隣に置いているから、つまり団体戦だからなのだと知った

男と女だと、からだのつくり的に、男の方が絶対に強い。だからこそ、昭和の女性(バレたら殺される)は、本能的にか意識的にか、今日の先輩のような喧嘩の戦術を身につけたのだろう

「あの子泣いてたんだよ! どうすんの!?」と女性3人に詰め寄られたら、ぼくは言葉を無くすだろう。「君いつになったら仕事できるようになるの?」と言われても、とりあえず「すみません」とは答えられる

 

何が言いたいかと言うと、何歳になっても女性は女の子なんだなと。頭のキレる他人が女の子要素を持ったとき、女は無敵になるのだと

男に負けまいと一本立ちする女性が多いこの平成の時代、今一度昭和に立ち返り、戦術を得ることで、かえって女の時代が来るのではないかと思いました

「忘れる日本人」

久しぶりに観劇

春風舎の三浦企画以来だから、1ヶ月とか

「忘れる日本人」

何言ってるか、セリフがよく聞き取れなくて困ってたんだけど、はっきり喋ってくれるから聞こうと思えたし、早口で喋ることで「いいからとにかく聞いとけ!」と告げられているようで退屈しなかった

なにより、紐によって四角く囲まれてるそのボーダーとなる紐を、超えたとき、ふわふわとなる音楽と空間が心地よくて、ストレスゼロだったし、超える、超えないっていう舞台の設定が、構造が、ゲームみたいで楽しかった

 

船に乗り、家の中のことを話している

外に出て、海の向こうのことを話してる

線を超えて、酷いことをする

 

たったこれだけだけど、セリフがきちんと聞こえなくても伝わるって、地点のすごいところだと思う

グローバルな感覚を知っているんだなと思う、羨ましい

 

 

観客が舞台に入り、船を持ち上げるというシーンがあった

観客から7人ぐらい?募集して、一緒に舞台の中央にあり、中道具である重そうな船を持ち上げようということだった

テンションが上がってたので、入って持ち上げた

背が低いので、本来なら神輿みたいに持つべきなんだけど、肩に乗っけられず、ただ持ち上げるような形になった

そのせいで肩がものすごく痛かった

痛い中、「右に曲がります」って言われて、「右? 話の内容的にも保守的なこと言ってんのかなあ?」と思いながら、ひぃひぃ言いながら運んだ

結局五回ぐらい右に右にと言われ、舞台を二週ぐらいした

そして運び終わって、ようやっと終わった、俳優の人からも観客席からも拍手が溢れた

いいことしたなあっと思って席に戻ると(ちなみに最前列に座ってた)、俳優たちがその船に乗り、こちらを見てきた

その目は、「今、あなたが動かしましたね?」と、問い詰めていた

二度三度四度と見てくるのだけど、そのどれもが胸に突き刺さる

あ、おれ、歴史つくったんだ、ってそのとき気づいた

そしてその船は、俳優たちによって運ばれて、ボーダーだったはずの紐を突き破り、舞台の上から線が消えた

ボーダーがなくなった世界で、俳優たちは、中道具を運びながら彷徨うしかなかった

 

おれは過去を忘れることもあるけれど、それよりも、自分が歴史を、たった今この瞬間にも作っているのだということを忘れていた

歴史を作り、未来を作るというこの責任を忘れていた